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BAJ★ミャンマーブログ

ミャンマーで活動するNGO駐在員の日記 (ヤンゴン、ラカイン、パアンから)

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BAJミャンマー駐在員

Author:BAJミャンマー駐在員

~アジアに架ける橋~
特定非営利活動法人ブリッジエーシアジャパン(BAJ)は、技術訓練や収入向上支援、生活環境の基盤整備を通しアジアの困難な状況に置かれた人々の自立を支援しています。

こちらのブログではBAJのミャンマー駐在員が活動を紹介しながら日々の出来事、喜び、驚きを日記にします。

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2014.04
24

アーロンネーミンガラーバーシュン!
寺澤@ヤンゴンです。

カチン料理のレストランに行ってきました~。
ヤンゴンで食べる多くのミャンマー料理と違い、油が少なく、ハーブや野菜を利用した料理が多く、本当に美味しかったです 
kachin.jpg


オススメ1
写真中央のトマトと納豆のサラダ!ハーブで味付けされたトマトと納豆とオニオンが、とても爽やかです。暑くて食欲がない日でも、これはイケル!!

オススメ2
サトイモのスープ!酸味のあるスープとサトイモのとろみが絶妙でした。美味し過ぎて、写真を撮り忘れました~~

内装はシンプルですが、カチンの写真などが飾ってあり、ヤンゴンに居ながらカチンを目でも舌でも味わえるお店です。器や、ランチョンマットもお洒落です。

メニューはミャンマー語でしか書かれていないので、ミャンマー語が分からない方は、分かる方かミャンマー人の方と一緒に行きましょう。

ごちそうさまでしたー!

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2013.06
27

休日の夜に、スタッフがパゴダに連れてってくれました。

名前は「ミャータロン・パゴダ」といいます。イラワジ河沿いに建っていて、眺めがよく、夜風が河のにおいを運んできます。

パゴダはどこでもそうですが、みんな裸足になります。昼間の熱を放出する床石の冷たさが足裏に心地よく感じられます。パゴダの広場に出る階段は、なぜか緑色の蛍光灯で照らされており、そこから上ってくると「緑」「黄金」「闇」という三色が同時に目に飛び込んできます。強烈な色彩感覚でくらくらします。もちろん一番目をひく色は「黄金」で、闇に浮かび上がる仏塔はまるでド派手な宇宙船のようです。

ミャータロンパゴダ1

スタッフいわく、ここは他のパゴダのデザインと違って、花ではなくオーガをモチーフにしているそうです。辞書を引くと「オーガ」とは「鬼」と出てきます。どういうことでしょう。「兄弟のオーガなのだ」と説明されましたが、よく分かりませんでした。

ミャータロンパゴダ2

いろいろな格好をした市井の人たちが祈りをささげています。子供が走り回っています。若者たちが手すりに背を預けて座っています。誰かのスマホから大音量の音楽が漏れ聞こえてます。お坊さんがいます。尼さんがいます。御座を敷いて熱心に祈っている人がいます。河の風が吹いてます。尖塔の鈴がチリチリと鳴ってます。子供たちが自由に鐘を撞いてます。いろいろな状況や感性が混じっています。現代的な意匠やテクノロジーが宗教の伝統と自然に融合しています。・・・

ミャータロンパゴダ3

仏塔からほど近い場所に、エアコンの効いたガラス張りの大理石の広間があります。そこにはサムスンの液晶テレビが設置されていて、その画面にはパゴダの傘部分の映像が中継されています。なぜそこを映す必要があるのか私には分かりません。煌々と照らされた広間の奥は壁一面ガラスケースになって、ケースの向こう側に十数体の仏像が鎮座しています。電飾がキラキラして背景も舞台セットのようにカラフルです。汚れた袈裟を着たお坊さんが熱心に拝んでいる後ろで、身ぎれいな服を着た家族がへたり込んで涼をとっています。神聖さとは何なのでしょう(突然、わけの分からないことを書きますが)。ただ古いだけではなく、古さを駆逐せず、新しさを貪欲に受け入れても、なお変わらないもの、生き生きと蠢くもの。いかにも「アジア」です。「これがアジアだー!」と叫びたくなります(興奮しています)。

日本も外国から見たら似たようなものかもしれません。しかし、こうしたパゴダの風景は日本の神社仏閣の風景よりも生々しいと感じます。変な言い方になりますが、マジで宗教です。ちょっと引きます。しかし「引くわー」としか言えない異質で悲しい自分も包み込まれてしまいます。

そして、人々の祈りの姿が胸を打ちます。普段いっしょに仕事をしているスタッフたちも祈っています。ちょこんと座り込んで拝んでいます。切なくなります。

様々な人がいて、様々な祈りをささげて、去っていきます。そうして一時間ほど憩いと祈りの風景を眺めていました。――

私は外国人なので、彼ら/彼女らの風景からは疎外されていると感じることがあります。本当をいうと何もかもがよく分からないし、何もかも「遠い」と感じています。でも思い出してみると、日本にいるときだってそれは変わらなかったりします。しっくりこない感じ。馴染んでいない感じ。承服できない感じ。ふとした時にそういうものに襲われることがあります(ありませんか、そうですか…)。別に特別に苦しいわけではないし、かといって無視すべき感情であるとも思いません。魂に小骨が刺さったような感覚といいますか。無人駅で電車を待つような居心地の悪さといいますか。どうでもよいといえばどうでもよい感覚です。しかし、多くの祈りが渦をまく中心にあって、私のそうした感覚は何の問題もなくそこに調和しています。疎外されていることが何の問題にもならず、ただそこにあることを許されています。こういった気安さがどこから来るのか。そうした気安さを通じて、人々への理解と共感の契機が生まれるのはなぜなのか。都市で感じる気安さとは「質」が違う気がします(都市にもそのような機能を果たす空間があるのかもしれませんが、私は知りません)。
無数の切実さと無関心が混ざり合って黄金に輝いています。それが宇宙の闇の奥へ伸びていって、空漠たる何かに向かって呼びかけています。――「あなたは私を覚えていますか」「あなたは彼を覚えていますか」「元気ですか」「何をしてますか」…

ミャータロンパゴダ4

座りこんで仏塔をにらみつけます。スマホで撮影しながら深宇宙に旅立つ宇宙船パゴダ号の出立を想像します。そんなふうにぼんやりしていたら「そろそろ行きましょう」と言われました。「リラックスできましたか?」とスタッフに聞かれたので「イエス」と答えました。別のスタッフからは方角占いや守護動物についてレクチャーされたのですが、よくわかりませんでした。分からないことだらけです。でもいいのです。ただ、この風景の中に佇むことができてうれしかったです。


正治
(この話を上司にしたら出家を勧められました)


2012.11
05

今年の10月30日は、ダディンジュ(雨安居明けの満月の日)という私がミャンマーで一番好きな祝日でした。雨安居とは、雨期に草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、僧侶は外での修行をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐことで、この期間が、一番僧侶の居場所を調査するには適しているともいいます。

元々、お釈迦様が天から降りてくる日でもあるとされ、お釈迦様が地上を見やすいように、夜はパゴダや家の門などに火を灯し、灯ろうを空に向けて上げるロマンチックな日なのです。8年前に初めてヤンゴンでダディンジュを迎えた時、大きな灯ろうが空を舞い、街は蝋燭で彩られ、まだ電気が十分に供給されていなかったのも手伝ってとても幻想的で感動したのを思えています。その後、年々、火災の危険があるとのことで政府からの通達で灯ろうが空へ打ち上げられる数も大幅に減ってきています。

雨安居が明けると乾季を迎え気候的に過ごしやすくなり、雨安居の間、ご法度だった結婚や引っ越しが可能になります。地方では、収穫を現金に換え一番楽しみなパゴダ祭りがあちこちで開かれるようになります。ここミャンマーでは、これからが一年で一番楽しい時期の到来です。


ヤンゴンの電気供給事情が驚くほど改善されたこともあり、最近では我が家からも、ちょっとした夜景が楽しめるようになりました。

夜景
(写真:自宅より)


(A)

2011.12
28

ミャンマーでは、お坊さんがバスに乗ってきたら最前列の席を譲ります。ところが、ヤンゴン市内を走る路線バスは、いつもひどく込み合っています。乗客だけでなく、店で売るために大量に仕入れた野菜や果物、玩具など何でもバスに載せるので、立っている乗客は二本足をおくスペースもありません。運よく座れたとしても、横の人の太ももの上に半分乗っかるような姿勢でしか座れません。そして運転もとにかく荒い。多くが日本製の何十年も前の車両を使っていて、部品も寄せ集めなのでコンディションが悪い上、同じ路線同士で競争して走るので、急ブレーキ、急発進は当たり前です。

たとえば、バスの最前列で2人がけの座席に座れたとします。やれやれ良かったと安心するのも束の間、次のバス停でお坊さんが乗ってきました。さあ、あなたならどうしますか?

もしもあなたが女性なら、隣の人がお坊さんに席を譲ろうと譲るまいと、あなたも席を立たなければないでしょう。なぜなら、女性はお坊さんの横に座ることができないからです。

かくして私は仕方なくお坊さんに席を譲ります。見るからに健康そうなガッチリしたお坊さんが、当然といった様子でゆったりと譲られた席に着くのです。そして、ゆれるバスの中、必死でつり革にしがみつきながら、釈然としない思いを抱えます。ミャンマーで暮らすことは決して憧れだけでは済まないのだなぁと感じます。異文化のリアリティを感じる瞬間でした。

IMG_6069.jpg


(SK)