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BAJ★ミャンマーブログ

ミャンマーで活動するNGO駐在員の日記 (ヤンゴン、ラカイン、パアンから)

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BAJミャンマー駐在員

Author:BAJミャンマー駐在員

~アジアに架ける橋~
特定非営利活動法人ブリッジエーシアジャパン(BAJ)は、技術訓練や収入向上支援、生活環境の基盤整備を通しアジアの困難な状況に置かれた人々の自立を支援しています。

こちらのブログではBAJのミャンマー駐在員が活動を紹介しながら日々の出来事、喜び、驚きを日記にします。

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2015.12
26
Category : ラカイン州
日本は戦後の70年間を、戦場になることなく、平和にすごすことができました。

70年のときを経て、戦地に派遣された経験を持つ日本人も、かなり少数となり、戦地体験をじかに聞く機会もかなり限られてきました。

しかし先日、ここミャンマーのラカイン州にあるラムリー島で、戦地の“リアル”を体験した方からお話を伺える貴重な経験ができましたので、御報告したいと思います。

注)ラムリー島での戦いについて
(ラムリー島内を逃げていく際に、イギリス人部隊に見つからないよう、夜中に川を渡って移動していた最中に、ワニの大群に出くわし、多くの日本軍の方がなくなったとの伝説が残っています。ワニによってどれほどの被害があったのか、この伝説の真偽の程は定かではありませんが、“動物に襲われた事件の中で、史上最大の被害をもたらした事件”として、ギネスブックに認定されています。このときのラムリー島での戦いを、史実と伝説とを交えながら描いた作品として、「ドラゴン・オブ・ザ・マングローブス( Dragon of the Mangroves )」という小説があります。残念ながら、今は英語版しか入手できない模様ですが、この小説の公式サイトでは、日本語で“ラムリー島での戦い”に関する情報を提供してくれています。)

チャオピュー122601
チャオピュー市内にある“戦争で亡くなった日本人の方を弔う仏塔”


チャオピュー122602
ラムリー島に広がる田んぼと森とクリーク


チャオピュー122603
このマングローブたちが日本兵の姿を隠してくれるのに役だったかもしれません

私の住んでいる町「チャオピュー(チャウピューと表記されることもあります)」は、ラムリー島(地元の方の発音では、ヤンビェ島)の中にあります。現在、日本財団様の支援により、「ミャンマーのラカイン州に、学校を100校建てよう」というプロジェクトを担当しているため、先日、ラムリー島内で建設中の学校を視察してきました。

その際に、70年前の日本軍と接点があったという御老人にお会いしました。

太平洋戦争の終盤、ビルマ戦線で起死回生の賭けに打って出た“インパール作戦”で大敗を喫し、日本軍の敗色が濃厚となった頃に、このラムリー島は、日本軍と連合国軍が衝突した戦場となっていたのです。

ラムリー島に、連合国軍(イギリス人部隊)が艦隊を引きつれて上陸したのは、1945年1月のことでした。この時期の戦況は、圧倒的に連合国軍が優勢でした。連合国軍は、激しい空爆を開始し、島の北西部から上陸するやいなや、どんどんと日本軍を南へと追いやります。日本軍は守備隊が応戦するも、弾薬や武器の物量と兵士数には圧倒的な差があり、最終的には、連合国側が約1ヶ月ほどでラムリー島を占拠しました。

日本軍の中で、生き残った兵士たちは、ラムリー島内の森やマングローブの林に隠れて、逃げ延びながら、本土で待つ部隊のいる「タンゴック」という町を目指しました。

しかし、それを見越して、連合国側はラムリー島の南側からも支援兵を上陸させ、南北から挟み撃ちにしながら、日本軍へと迫ります。日本軍が島から本土へと生きてたどり着く為には、水陸ともに制圧していた連合国側の監視の網をかいくぐって、100m以上もあるクリークを渡りきる必要があったとみられます。


そのような状況下で、この御老人は、敗走中の日本兵に出会います。


御老人のお話の内容は、このような内容でした。

「逃げ延びてきた日本軍の兵士たちは、イギリス人部隊に見つからないように、谷奥にひっそりと隠れていました。しかし、明らかに衰弱していました。そこで、この村の住人たちが、交代で、食べ物や飲み物を運ぶことにしました。もしイギリス人部隊に見つかったら、大変なことになるので、こっそりと、時間を見計らって、慎重に運びました。でも、その食料をとることで、回復した人もいれば、回復しなかった人もいたのです。今でも、本当にあのときの悲惨な状況が忘れられません」



感情が抑えられなかった様子で、御老人の声は、途中から涙声に変わっていました。

私は、話を聞き終わると(いや、聞いている途中から)、とにかく、とあるひとつの行動をむしょうに取りたくなりました、

ミャンマー語が十分に使いこなせないので、私の気持ちをうまく伝えるには、握手が一番の方法ではないかと思えたからです。


日本人としての感謝の気持ち、そして “大変な勇気の必要とされる行動を取ってくれた方”に対する、人間としての尊敬の念を示したかったのです。


この御老人の話は、映像でしか戦争を知らない私であっても、少なくとも3つの点で非常に心を揺さぶられるものでした。


1つには、この村の人々が自分たちにふりかかる不利益や危険を顧みず、赤の他人の外国人を苦境から救うために、勇気ある行動をとってくれたこと。

2つ目には、日本軍の兵士が助けたいと思える存在であったということ。

そして3つ目には、70年たった今も、その見ず知らずの日本兵のために涙を流してくれる人がいるということ。



イギリス人部隊に、もし敵軍の兵士を支援しているところを見つかったなら、どんなことが起きたでしょう?

殺すか殺されるかという戦場の地で、敵軍を助けている村人に対して、どんな決定が下されていたでしょうか?

しかし、そんな大きな大きなリスクにもかかわらず、この村の人々は、衰弱している日本兵を放っておけなかったのです。

そして、70年たった今も、そのときのことを思い出して涙してくれている。


十分な教育が行えていない国は世界中にいっぱいあると思われますが、この村の、そしてこの国ミャンマーの未来を創っていくプロジェクトに、縁あって携わることができて、本当に良かったと思えた瞬間でした。


チャオピュー事務所駐在員:川合


チャオピュー122604



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