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BAJ★ミャンマーブログ

ミャンマーで活動するNGO駐在員の日記 (ヤンゴン、ラカイン、パアンから)

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BAJミャンマー駐在員

Author:BAJミャンマー駐在員

~アジアに架ける橋~
特定非営利活動法人ブリッジエーシアジャパン(BAJ)は、技術訓練や収入向上支援、生活環境の基盤整備を通しアジアの困難な状況に置かれた人々の自立を支援しています。

こちらのブログではBAJのミャンマー駐在員が活動を紹介しながら日々の出来事、喜び、驚きを日記にします。

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2013.06
27

休日の夜に、スタッフがパゴダに連れてってくれました。

名前は「ミャータロン・パゴダ」といいます。イラワジ河沿いに建っていて、眺めがよく、夜風が河のにおいを運んできます。

パゴダはどこでもそうですが、みんな裸足になります。昼間の熱を放出する床石の冷たさが足裏に心地よく感じられます。パゴダの広場に出る階段は、なぜか緑色の蛍光灯で照らされており、そこから上ってくると「緑」「黄金」「闇」という三色が同時に目に飛び込んできます。強烈な色彩感覚でくらくらします。もちろん一番目をひく色は「黄金」で、闇に浮かび上がる仏塔はまるでド派手な宇宙船のようです。

ミャータロンパゴダ1

スタッフいわく、ここは他のパゴダのデザインと違って、花ではなくオーガをモチーフにしているそうです。辞書を引くと「オーガ」とは「鬼」と出てきます。どういうことでしょう。「兄弟のオーガなのだ」と説明されましたが、よく分かりませんでした。

ミャータロンパゴダ2

いろいろな格好をした市井の人たちが祈りをささげています。子供が走り回っています。若者たちが手すりに背を預けて座っています。誰かのスマホから大音量の音楽が漏れ聞こえてます。お坊さんがいます。尼さんがいます。御座を敷いて熱心に祈っている人がいます。河の風が吹いてます。尖塔の鈴がチリチリと鳴ってます。子供たちが自由に鐘を撞いてます。いろいろな状況や感性が混じっています。現代的な意匠やテクノロジーが宗教の伝統と自然に融合しています。・・・

ミャータロンパゴダ3

仏塔からほど近い場所に、エアコンの効いたガラス張りの大理石の広間があります。そこにはサムスンの液晶テレビが設置されていて、その画面にはパゴダの傘部分の映像が中継されています。なぜそこを映す必要があるのか私には分かりません。煌々と照らされた広間の奥は壁一面ガラスケースになって、ケースの向こう側に十数体の仏像が鎮座しています。電飾がキラキラして背景も舞台セットのようにカラフルです。汚れた袈裟を着たお坊さんが熱心に拝んでいる後ろで、身ぎれいな服を着た家族がへたり込んで涼をとっています。神聖さとは何なのでしょう(突然、わけの分からないことを書きますが)。ただ古いだけではなく、古さを駆逐せず、新しさを貪欲に受け入れても、なお変わらないもの、生き生きと蠢くもの。いかにも「アジア」です。「これがアジアだー!」と叫びたくなります(興奮しています)。

日本も外国から見たら似たようなものかもしれません。しかし、こうしたパゴダの風景は日本の神社仏閣の風景よりも生々しいと感じます。変な言い方になりますが、マジで宗教です。ちょっと引きます。しかし「引くわー」としか言えない異質で悲しい自分も包み込まれてしまいます。

そして、人々の祈りの姿が胸を打ちます。普段いっしょに仕事をしているスタッフたちも祈っています。ちょこんと座り込んで拝んでいます。切なくなります。

様々な人がいて、様々な祈りをささげて、去っていきます。そうして一時間ほど憩いと祈りの風景を眺めていました。――

私は外国人なので、彼ら/彼女らの風景からは疎外されていると感じることがあります。本当をいうと何もかもがよく分からないし、何もかも「遠い」と感じています。でも思い出してみると、日本にいるときだってそれは変わらなかったりします。しっくりこない感じ。馴染んでいない感じ。承服できない感じ。ふとした時にそういうものに襲われることがあります(ありませんか、そうですか…)。別に特別に苦しいわけではないし、かといって無視すべき感情であるとも思いません。魂に小骨が刺さったような感覚といいますか。無人駅で電車を待つような居心地の悪さといいますか。どうでもよいといえばどうでもよい感覚です。しかし、多くの祈りが渦をまく中心にあって、私のそうした感覚は何の問題もなくそこに調和しています。疎外されていることが何の問題にもならず、ただそこにあることを許されています。こういった気安さがどこから来るのか。そうした気安さを通じて、人々への理解と共感の契機が生まれるのはなぜなのか。都市で感じる気安さとは「質」が違う気がします(都市にもそのような機能を果たす空間があるのかもしれませんが、私は知りません)。
無数の切実さと無関心が混ざり合って黄金に輝いています。それが宇宙の闇の奥へ伸びていって、空漠たる何かに向かって呼びかけています。――「あなたは私を覚えていますか」「あなたは彼を覚えていますか」「元気ですか」「何をしてますか」…

ミャータロンパゴダ4

座りこんで仏塔をにらみつけます。スマホで撮影しながら深宇宙に旅立つ宇宙船パゴダ号の出立を想像します。そんなふうにぼんやりしていたら「そろそろ行きましょう」と言われました。「リラックスできましたか?」とスタッフに聞かれたので「イエス」と答えました。別のスタッフからは方角占いや守護動物についてレクチャーされたのですが、よくわかりませんでした。分からないことだらけです。でもいいのです。ただ、この風景の中に佇むことができてうれしかったです。


正治
(この話を上司にしたら出家を勧められました)


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